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腰に鍵を沢山ぶら下げた、マンションの管理人みたいな男が、暗くて長い廊下の向こう側から遅い足取りで、ひょこひょことやって来た。
そして「そう言えば忘れていたな」とか言い出して、しばらく開け忘れていた「青空」と言う名のドアにキーが挿し込まれた。彼はこうやって、しばしば忘れる事があった。
久々に開け放たれたドアからは、爽やかな風が吹きこんで来て、見上げれば霞みながらも、初夏の青空が広がっていた。そんな物語の一つも欲しくなった、六月も後半の金曜日の朝だった。
また仕事で築地へやって来て、今回は会社の上司と一緒と言う事で、流れに任せた昼食となった。麺好きな部長でこちらへ行こうと言う事になり、日本蕎麦の食べ歩きも過去にしていただけに、良い流れを思わず感じた私だった。
先日ひとりで来た築地人気ラーメン店の並びで、もっと築地市場寄りに佇む、立食の日本そば店のこちら。50年以上もの歴史があり、こちらも長い列が出来る時もある、場外人気蕎麦店らしい。
隣りにはこちらのそばを、ゆっくり食す事ができる一店舗分のスペースがあり、今回そこで落ち着いて腰掛けて食す事ができた。
そう言えば昨年辺りからか、件の築地人気ラーメン店も隣りのコーヒースタンドがあった場所が、ラーメンをゆっくり食す事ができるスペースとなっていた。
さて、流れに任せて目の前にやって来た蕎麦は、出汁と鰹節のいい香りがフワリと立ち昇る暖かい蕎麦で、いか天・ちくわ天・きす天が入っていて、ありがたや部長の奢り。
これは何とも旨そうな、深大寺そばだった。それではと割り箸を割り、思わず片手にドンブリを持って食せば、もうあなたそれはもう、美味い美味い美味い美味い、いやこれは美味い。
プロが集まる場所で、半世紀を超えると言う半端で無い実績が物語るように、余計な衣が付いてないその天ぷらは、どれも揚げたてのさっくりとした食感で、素材のうま味がズバッと来る美味しさ。
食の台所と言われる築地市場のお膝下もあって、新鮮な食材の宝庫の中で営まれている事もあり、他の立ち食い蕎麦店では味わえない天ぷらのオンパレード。
東京らしい醤油の味わいに、しつこくない甘みがサラッと利いていて、カツオが水平線へ跳びはねて、外洋へ帰って行く姿が見える美味しさとはこの事だ。ここが築地市場前と言う事を、思い知らされた鰹節感だった。
麺の蕎麦も、けっこう細い田舎風の蕎麦なのに、しっかりとしたコシで、しかも見た目も艶やかで、しなやかな口当たりは流石な麺で、麺が入っていたボール箱には城北麺工とあり、山形にある製麺所の名前が刻まれていた。
深大寺そばと言えば、東京・調布にあるお寺の名前が付いた日本そばで、その昔は周辺が蕎麦の名産地で、美味しい湧き水があったらしい。
お寺の周辺は今も蕎麦店が多く建ち並んでいるが、もちろん蕎麦が現在でも名産地と言う事はない。
しかしそんな蕎麦店で修行した方々が、深大寺から遠く離れた場所で深大寺そばの名前を広めている例が多く有り、こちらもそんな一店舗なのだろう。
それはもう、気が付けば完食。夏の陽射しが眩しい、晴れやかな周辺。夏バテ防止に、熱いスープ麺は、打ってつけ。なお、うどんもやっているが、皆さん蕎麦ばかり。いやこれは、良かった旨かった。
(左フォト) いか天+ちくわ天+きす天蕎麦/お品書き/店舗外観 (2009.06.26)
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