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暗い雲が立ち込めるものの僅かに時折りだけ水滴を感じる程度で、雨と呼ぶには至らず天候は回復に向かっていたまた一段と冷え込んだ気温となった11月半ばの休日金曜日だった。
先日は春夏冬時代から隠國で修行した店主のお店を訪れて、余計その隠國にも訪れて見たくなってしまった。思えばこうして食べ歩きを再開した頃から、一度は是非訪れて見たい内の一軒であった。
乗用車がないと不便な地域に立地するこちらながら、淵野辺駅南口から発着する神奈中バスに乗れば行けるようだ。しかしその路線バスは1時間に1本程度しか走らないダイヤだった。
ともあれ何とかなるだろうと出掛ける事にした。そんなわけで横浜までは、通勤と同じ時間帯の電車に乗車。そこから横浜線快速電車に乗り換え、さらに町田で各駅停車へ乗り継いで淵野辺駅へ降り立った。
予定よりも早く到着してしまい南口のロータリーに出ると、一本早い途中までしか行かない淵53系統水郷田名行きがまもなく発車する所だった。
途中とは言え目的地の場所までそう遠くない距離の停留所にも立ち寄るだけに、さりげなく運転手さんにお聞きすれば「高田橋入口バス停で降りて、歩いて橋を渡れば直ぐだよ」と教えてくれた。
それならばと、そのバスに乗車。そうすると1時間に1便ならぬ3便となるバスルートで、行きたいけれど控えていた方は参考にして頂きたい。
高田橋入口バス停で降車して進行方向を進み、相模川に懸かる高田橋の幅広い歩道を歩いて、風光明媚な周辺を眺めながらも渡り切るとそこは既に愛川町でもうすぐ。
途中こちら最寄りの小沢バス停を横目に進んで行くと、営業している時は赤いノボリが立てられるそれが目に入り思わずそこで安堵した。そしてついに念願のこちらの店頭へやって来た。
思えば大崎裕史氏が編纂したラーメン本で、親子鷹と題した特集ページを見た時からこちらにも行って見たいと考え始めたものだった。
周辺の道路は車が行き来するものの、店頭がある小道は閑散としていた。しかし一歩店内に踏み入れば、それは盛況な広い店内で活気を感じる程。
奥へ進むと厨房があり、店主が引き出しから取り出した麺を揉んでいた。その前の空いたカウンター席へ促されてそこへ腰を降ろした私だった。
後ろからお店の方が雑誌を目の前に置いてくれたのかと思えば、これが雑誌を模したようなメニューリストであった。グルメ月刊誌ダンチュウの表紙に似ているが、それは気の所為かも知れない。
そこから3種のチャーシューが楽しめるスペシャルチャーシュー麺と、サイドメニューも行こうと味噌とバターでソテーした豚ばら肉が乗るミソババ丼もお願いした。
後続客が続いて更に賑やかな店内。ラーメン本で見た店主が目の前におられた。程なく到着。
それではと行かせて貰えば、これがなんとも味わい深い魚介感が冴え渡った美味しさ。国産ゲンコツに秋田比内地鶏の鶏ガラ、さらにモミジ・丸鶏を沸騰させないでじっくり10時間以上炊いたスープだそう。
煮干しははらわただけ取り除いたものらしく、その魚介感がなんともしみじみとした唯一無二な味わいが良かった。
豚の肩ロース・バラ肉・もも肉3種のチャーシューも、どれもがとんでもない旨さだった。手揉みされた薄手平打ち中細麺も、またなかなかの風情が素敵なものと言えた。
平成12年8月12日に創業したこちらで、それ以前は平成7年に創業した「春夏冬」なるラーメン店を営業していたらしい。その時にはここの場所は、単なる製麺所の建物だったようだ。
息子さんがスープを担当して、そのお父さんが製麺を担当する分業は今も変わらないそう。以前は隠國別館があったこちらだけに、経営的にはお父さんは本店の店主をして、当時息子さんが別館の店主をしているのだと思っていた。
しかしそこら辺を今回お聞きして見ると、お父さんが店主になった事は一度も無いそうで、全て息子さんが取り仕切って経営していたのだそう。
てっきりお父さんから代を引き継いだと思っていたがそれは違うようだった。そう言えばこちらの創業は平成12年であり、それを知った時に気づくべきであった。
なお店名は店主が好きな司馬遼太郎「翔ぶが如く」の中の記述に由来するそう。一般的に世間から隔離されたような隠れ里を示す場合が多い。
ミソババ丼もとっても美味しく、気がつけば完食。いや、かなりとても美味しいスペシャルチャーシュー麺とミソババ丼だった。
(左フォト) スペシャルチャーシュー麺/ミソババ丼/店舗外観/路地前のノボリ (2011.11.18)
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