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秋の色が深まりながらも空の色はグレーに染まって、時折り霧雨が落ちては止んでいた、そんな十月神無月も下旬となって来た休日の月曜日だった。
1955年の昭和30年頃までは単に南京町と呼ばれて来たが、それ以降は横浜中華街と呼ばれ神戸南京町と長崎新地と共に三大中華街の一つに数えられている。
そんな横浜中華街は、多くの名店・有名店・老舗店・人気店が鎬を削っている。そんな一軒に大正時代に創業した、老舗中華店が営業していると知り気になるところとなった。
そんなお店がこちらで本日もまた横浜中華街を訪れるため、横浜からみなとみらい線に乗って元町・中華街駅へやって来た。
横浜寄りの改札口を出ると、長い通路を歩くことになる。その先にあるのが2出口で、ここを上がれば中華街大通り入口近くの朝陽門の傍となる。
外に出ると雨は降っておらず、アスファルトが乾いていたそんな界隈だった。
平日でも多くの人が闊歩する大通りを歩いて、奥の善隣門を潜り左折し西門へ向かい少し歩いた右側に位置する場所に風情良く佇んでいた。
日替り盛り合せランチがウリのこちららしく、そんな案内が大きく表記されていた店頭だった。単なる絵ではない龍が、二体入口の上にあしらわれていた。
さっそく入店すると奥寄りのテーブル席に促されて、そこに腰掛けるとメニューブックが手渡された。広東料理店のこちらのようだ。
それを受け取ってめくると様々な提供メニューがラインナップされており、そんな中から麺メニューのチャーシューめんをお願いすることにした。
店内は薄暗いが適度な採光で、落ち着いた空間となっていた。メニューは工夫されており見易くなっていて、二軒目がなければこちらでゆっくり食したい気持ちとなる程だった。
中国様式の提灯が幾つもぶら下がっていて、その他にも中国色豊かな小物が壁面などに貼られて雰囲気を高めていた。
テーブルクロスシートが桃色と白色の格子柄のもので、それが何とも家庭的な雰囲気となっており良い意味でくつろげる感じが良かった。程なく到着。
チャーシューが何枚も麺の上に置かれて、その上にザーサイが更に置かれた、なかなか見栄えのするチャーシューめんがやって来た。
如何にもビジュアルからして、戦前から連綿と続く汁そばらしい、そんな風合いが実にたまらないもの。やや黒ずんだスープだが、濁らず独特で透明な澄んだ綺麗な、と形容したくなった。
それではと行かせて貰えば、しみじみとしたスープの面持ちは何処までも深呼吸した高原のそよ風のように爽やかな美味しさ。豚の背ガラと鶏ガラによるスープだそう。
細麺がまた凜とした食感と鮮やかな喉越しをもたらしていた。そして主役は我とばかりに語って来る、良き時代を映す叉焼がまた果てなく素晴らしいものだった。
炭焼きによる叉焼を作るこちらのようで、今口にしているのがはっきりとそうなのか判らなかったが、きっとそれだろうと思える美味しいものだった。
日本町の保土ケ谷で1926年の大正15年に創業したこちらだそうで、戦後になってから横浜中華街のこの地に移転して現在に至るらしい。
お若い方が三代目の店主だそうで、後継者がいないため老舗店が相次いで閉店して行くなか、こちらは当分のあいだ安泰して営業して行くところだろう。
最近昭和30年前後の横浜市内を撮影した写真集が発刊されたようで、その中に昭和29年頃にこちらの店頭を映したフォトが紹介されているそれを見せていただいた。
一度建て替えたのか今とは違う建物となっていて、時代を充分に偲ぶことが出来るものであった。そこに映る人たちは、それ以上に時代を反映していた姿だった。
なおよく見ると、看板には福養軒でなく復陽軒と記されていて、その昔は違う漢字を使っていたようだ。何かのきっかけで、福を養うと言うおめでたいものに変えたのだろう。
暖簾の色は白黒だけに判らないがおそらく赤色だろうか。店名の左右にはワンタンとラーメンの文字がそれぞれ入っていた。電話番号は今と変わらない2370の数字が読み取れた。
汁そばの後で中国カステラと呼べばいいのか、馬拉糕(マーラーカオ)なるデザートをサービスでいただくことが出来た。伝統の蒸しカステラだそう。
最近始めた新しい提供メニューのようで、しっとりした食感がなかなか。ゴマが香ばしく薫って、風味の良い黒糖の味わいが素敵だった。ほうじ茶が来ていて丁度良かった。気がつけば完食。
いや、かなりとんでもなく実にしみじみとした風合いが何処までも良かった、そんなチャーシューめんとマーラーカオだった。
(左フォト) チャーシューめん/マーラーカオと箸入れ/店頭/店内入口周辺 (2013.10.21)
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