来集軒 東京・堀切菖蒲園





北寄りの風がまた気温を下げさせて、曇り気味の空は青空を隠して、やや薄暗いそんな休日の金曜日だった。その寒さにまたニットのパーカーを羽織って、外出の身支度をした。

浦和来集軒から始まった首都圏来集軒巡りだが、この際だからもう少し続けて見るかとなって、今回は京成線堀切菖蒲園駅周辺で営業するこちらへ出掛けることにした。

そんなわけで八幡から京成電車に乗って高砂で乗り換えて、久しぶりの堀切菖蒲園駅にやって来た。ラーメン目当てに何度か降り立っている駅だ。駅から数分も歩かずに、その店頭へ到着した。

この駅の界隈にも来集軒があったとは思わなかった。さっそく入店すると開店まもない時間もあってか、先客のいない静かなフロアが広がっていた。

徐に厨房前のテーブル席へ腰掛けて、これまでに浦和店加須元町店八広駅周辺の来集軒御徒町の来集軒などを訪れ、来集軒と言う中華店に対して興味を抱いて来たことをお話しした。

するとたいそう喜んで迎え入れてくれた、老練以外何者でもない店主であった。入店客が続かなかったこともあって、オーダー前から大いに世間話しが弾んだ店内となった。

昭和10年生まれの店主だそうで14歳の時に長野から上京して来られたそう。当時長野出身者が多かった生駒軒グループへ入るか、それとも埼玉出身者が多い来集軒グループへ入るか随分と悩んだすえに来集軒を選んだそうだ。

昭和24〜25年頃来集軒本家から指示された修行支店は、旧隅田町来集軒だそうで先日訪れた八広駅周辺の来集軒のことだそう。直ぐに勤務することになったらしい。昭和26年創業と聞いたことがあったので、あれ?と思ったが確かにその頃には既に営業していたそうだ。

昭和3年には一号店が上野周辺で開業しているだけに、そう不思議な話しでも無いと言えるだろう。そこで11年ほど従事した末に独立を果たし、昭和38年前後に日本堤店を開業させたそうだ。

旧隅田町来集軒から派生した日本堤店系は、多くの店舗を輩出して行ったらしい。それだけに色々とあったらしく日本堤店系の来集軒はその後大来軒と店名を改称して行ったそうだ。

ネットで調べると現在でも周辺でその大来軒で営業する中華店が見られた。店主はその後日本堤店を後輩に託して来集軒から離れるところとなり、昭和44年頃から亀有に光華楼を開業させたのだそう。

亀有の光華楼と言えば小村井の来集軒でお聞きした中華店で、なんと店主の奥さんの弟さんがその京島の来集軒を開業させたと言うから間違い無かったがどうしてまたここにと言うしかなかった。

そう言えばその昔にその小村井の来集軒周辺の八広地区にも来集軒があったそう。その来集軒はその後葛飾区水元へ移転して行き現在では閉店してしまったらしい。

一時は周富徳氏がテレビで同店を紹介して店主もテレビに出演したこともあったようだが、その後営業成績が思うように奮わず七年前にそこをたたんだのだそう。

そして4年半前にこちらを開業。道理で気がつかなったはずだ。店主の息子さんは直ぐそばで弁当屋を展開しておられるそうで、店主は来集軒の名前であらためて再出発を切って現在に至るらしい。なるほど。

さてオーダーせねばと、ラーメンとシューマイを注文。ちなみに来集軒本家は以前はどじょう屋のとなりで営業していたが、20年以上前に移転して現在の場所で再開したそう。鰻屋ではなくて、どじょう屋が正解のようだった。

以前は鶏ガラ主体の清湯スープだったが、時代の流れに即して現在は豚骨ベースだそうで、意図的にやや白濁させた醤油スープにしているのだそう。程なく到着。

それではと行かせて貰えば、なるほど実に味わい深い素敵な醤油ラーメン。スープ以外は、ほぼ昔から作って来たラーメンと同じだそう。シューマイがまたなかなかの美味しさで、これまた一食の価値ありと言えてとても良かった。

「こんな白濁したスープを親方が見たら、さぞかし怒るだろうなぁ」とつぶやいた一言がとても印象的だった。もうすぐ80歳になろうとしている店主の、上京したばかりの頃に戻る一瞬を垣間見た瞬間だった。気がつけば完食。いや、かなりとんでもなく、かなり実に素敵なラーメンとシューマイだった。

(左フォト) ラーメン/シューマイ/店舗外観 (2013.04.19)


 来集軒@堀切

 住所:東京都葛飾区堀切5-5-1  TEL03-5680-6598

 定休日:年末年始  営業時間:11:00〜翌2:00

 アクセス:京成線堀切菖蒲園駅下車。改札前の道路を右手へ100mほど進んで行った右側にあり。

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入口上の来集軒と描かれたもの。

手書きの様々な提供メニューが用意されていた。

最寄り駅は京成線堀切菖蒲園駅。