平和軒 埼玉・浦和東口





夜半の雨が収まっていたがグレーな雲がまだ青空を隠して、日本近海に台風が接近していた八月葉月も下旬となって来た水曜日。

今日も仕事が終わって外に出れば夕方降り出した雨が一度止んだものの、タイマー仕掛けのライトアップされた噴水ショーのように、夜空は閃光で鈍く光って降っては止んでを繰り返していたそんな午後七時過ぎだった。

春先に平和軒のことを知って勤務先周辺にこちらがあることに驚いて直ぐ訪れて、こちらの本家である大崎広小路のお店にもまもなく訪れた。

そんな平和軒が上尾の人気ラーメン店に出掛けようとその下調べをしていると、その店名が駅の傍にある情報が出て来て思わず再燃するところとなった。

そこでともあれ、またこちらのラーメンを口にしたいとなって、仕事帰り久しぶり立ち寄ることにした。と言うわけで時折りゴロゴロと低く唸るその音を聴きながら店頭へやって来た。

これ以上ない湿度のなか店内へ入って行けば、エアコンディショナーからはこんな時によく見られる水蒸気が冷風と共に出ていた。

先客が何人もおられて、盛況な店内が待っていた。それでも左寄りのカウンター席が落ち着けそうだったのでそこへ腰を下ろした。

ご挨拶すると覚えておられて嬉しい限り。上尾に出掛けたら数年前まで同名の中華店が営業していたことを知って思わずまたやって来たことを話した。

メニューを手にして今夜はこれにするかとなって、チャーシューメンをオーダー。餃子も一緒にお願いしようと思ったが、チャーシューメンと一緒はどうかなとなってそれは止めた。

そしてしばらくしてから半チャーハンをここに追加でお願いするといくらかお聞きすると、350円で対応できるそうでそれならばとお願いすることにした。

店主のお父さんいわく五反田の本家の関係の方が上尾におられたから、店を始めたことは知らないが、おそらくその方が営業していたのだろうとのこと。こちらとは交流が無かったそうだ。

少し前にそこで水蒸気を噴き出しているエアコンが不調だったそうで、基盤を交換して直ったそうだがそれまで大変な数日だったようだ。

オーダーしなかった餃子だったが、先客が注文したらしく目の前をそれが通過すると、これがそんな時こそまたやたら美味そうに見えるもの。程なく到着。

それではと行かせて貰えば、何この美味しさはと言う、かなり素晴らしい味わい。チャーシューもかなり乗っており、もう涙もののと言うしかなかった。

生姜がさりげなく効いていて、こちら特有の出汁のうま味が王道の二文字となっているほどで、あっさり醤油スープの中に芯のある息躍る良さ。

半チャーハンもパラフワのかなりとんでもなく素敵な仕上がりで、それだけに気がつけば完食。

精算と言うことで座った席を立つと直ぐそこにズンドウの中に黄金色にも見えたダシのスープが見え、様々な野菜がちらりとだけ見えた。

いや、かなり途轍もなく素晴らしい味わいで、どこまでも果てなく実に良かった。

(左フォト) チャーシューメン/セット半チャーハン/雨上がりの店頭 (2013.08.21)


 平和軒@浦和

 住所:埼玉県さいたま市浦和区東高砂町17-1  TEL048-886-6878

 定休日:火曜日  営業時間:11:30〜14:00/17:00〜22:30 ※日曜祭日〜21:00

 アクセス:JR京浜東北線ほか浦和駅東口下車。ロータリー前浦和パルコ右手奥にある浦和駅東口
       南交差点の横断歩道を渡り目の前の路地を入って80mほど歩いた十字路の左手にあり。



店先の自立電照看板。

調味料卓とメニューリスト。

東口パルコ右奥の交差点を渡って路地を入って行く。




昨夜の嵐が残っている桜花の半分近くを振り落として、台風一過の爽やかな青空から陽射しが注いで、生暖かい南風がさらに吹き荒れていた四月卯月前半の週明け日曜日。

今日も仕事が終わって外に出れば、収まらない強風が陽が暮れても吹き荒れて、幾分風の向きが変わったのか冷え込んで来たそんな午後七時過ぎだった。

昨夜は雨の中こちらを訪れたが、なかなかの味わいに今度は違う提供メニューも愉しみたくなり、この際だからと連日仕事帰りにやって来た。昔の風情を留める前地の商店街の中にあるこちらだ。

商店街はクネクネと曲がって真っ直ぐでなく狭い通りで、遠くの店が見えないそんな道路だ。

そんな途中の交差路の場所にあるこちらで、折りからの強い風に商店街沿いに掲げられた浦和レッズのフラッグと共に店先の赤い暖簾がはためいていた。

さっそく入店すると数人の先客が食事をしている最中で、その先客の後ろを通ってまた来た旨挨拶してから奥寄りのカウンター席に腰掛けた。

メニューを眺めている内に餃子を絡めたオーダーにしようとなって、悩んだ末にタンメンにしようと落ち着き結局ありがちなタンメンと餃子をお願いすることにした。

前地の商店街沿いにあるこちらと言うことで、そこらへんの話題をお母さんに投げると「マエチ」でなく「マエヂ」と読むことを教えてくれた。

商店街には昔はもっとたくさんの店があったそうだが、現在ではそのほぼ半分の店が閉店してしまったらしい。厨房には今夜も二代目の息子さんが手慣れた手つきで調理をこなされていた。

店主がおられないと思ったら出前から帰って来て、思わず挨拶してまた来たことを告げた。

ふと何気なく二代目を見ていると餃子はオーダーを受けてから餃子の皮に肉餡を包んでおり、そのほうが手作り感が感じられて素敵だった。程なく到着。

餃子は肉餡がたっぷりと詰まっており、思わず豊満なと形容したくなる美味しそうなものがタンメンと一緒にやって来た。

それではと行かせて貰えば、野菜がたっぷりでボリュウム良くかなり素敵な美味しさ。豚肉やキクラゲも多めに入ってかなり良かった。また麺が素晴らしかった。

餃子も小皿に醤油・お酢・ラー油を適量垂らし、それに浸して頬張れば見た目を裏切らない美味しさでこれまた良かった。

気がつけば完食。いや、タンギョウもまた、いい風情を感じるもので、かなりとっても実に素敵だった。

(左フォト) タンメン/餃子  (2013.04.07)


大衆中華店らしくメニューが豊富なこちら。

前地商店街の中に佇む老舗中華店。

定食セットメニューはテレビの右下にあった。

街角では花々が乱舞するようになって、まさしく二十四節気清明の時季らしくなって来た、そんな四月卯月上旬の週末土曜日。今日も仕事が終わって外に出れば、午後から予報通りの雨が降り出していた午後七時過ぎだった。時折り強い風が傘をきしませた。

ところでしばらく前に大崎裕史氏がご自身のブログの中で、都内老舗中華店の平和軒について触れられていたことがあり、興味深くその内容を読ませて頂いたものだった。昭和2年に兄弟で創業して戦後全てを失ったため五反田界隈で屋台を引いて営業を続け、昭和40年頃から兄が大崎広小路、弟がそう遠くない西五反田にそれぞれ自店舗を開業させたそう。




先日何気なくいつものように浦和界隈のラーメン情報をネットで調べていると、たまたまこちらの存在を初めて知るところとなった。

平和軒?こちらもかなりの老舗の味わいを持つラーメンを提供しているらしい。そちらをルーツとする平和軒が、何軒か首都圏で営業しているようだ。するとこちらもその平和軒と、関係があるのだろうか?

そんなわけで気になるところとなって、雨そぼ降る中その店頭へやって来た。その店舗を見ると最近建て替えたのか、真新しい建物のこちらだった。

さっそく入店すると比較的小じんまりとした店内には、老練そうな店主らしき方がおられた。その奥様とその息子さんらしき方もおられて、今回色々とお聞きしたが実際その通りだった。

徐にカウンター席の中ほどに腰掛け、メニューから650円する半チャーハンとラーメンのセットをお願いした。やはり建て替えたそうで、今年で丸三年になるそう。

昭和50年にこの地にやって来られたそうで、その前は同じ店名で大井町で七年間営業していたそう。店主のお兄さんは、なんと大崎広小路の平和軒で修行しておられた方らしい。

しかも屋台時代も手伝っていた方だそうだ。暖簾分けを許され戸越公園で50年近く営業していたが、三年ほど前に奥さんがお亡くなりになったのを契機にして店を閉められたよう。

こちらの店主はそんな戸越公園で修行しただけに、大崎広小路や西五反田の本家とも交流があったらしい。大崎広小路のお店には、あの雪村いづみさんが来られることがあったそうだ。

最近は代が変わったこともあってなのか、そちらには御無沙汰のようだった。当時は西五反田店が製麺担当らしく、戸越公園の店もそこの麺で提供していたらしい。なるほど。

メニューには塩ラーメンや味噌ラーメン、ご飯物にはオムライスやカツ丼もあった。こうした中華店へ訪れると結構見掛けるのがハムエッグで、こちらも300円でメニューに記されていた。程なく到着。

それではと行かせて貰えば、良き昭和の風情が実に素敵な醤油ラーメン。豚骨鶏ガラに醤油の酸味がたまらない味わい。

チャーシューもかなり美味しく、こちらは戸田・美女木の北星と言う製麺所の麺らしいが、この中細ちぢれの麺がまた実に良かった。

半チャーハンの盛りがこちらもいい感じで、塩加減も絶妙で具材も多めに入り、やはりかなりの美味しさだった。気がつけば完食。

戦前から連綿と続いた中華そばが、時代と共に少しずつだけ変化して行った風情がとても素敵だった。いや、かなりとんでもなく実に果てなく良かった。

(左フォト) ラーメン/セット半チャーハン  (2013.04.06)


大崎広小路平和軒→戸越公園平和軒→浦和平和軒。

路地を入って行くとその十字路に佇んでいた。

昭和50年にこの地にやって来られた平和軒。