柳ばし支店 長寿庵 千葉・あやめ台 ※閉店





ふわりと浮く白雲に薄い灰色掛かった雲とも言えない水蒸気が覆うものの、そんな合い間の青空から優しい陽射しが注いでいた5月半ばの休日金曜日だった。

実は先日のゴールデンウィーク中の休日に、こちらの店頭へ立ったところ、残念ながら臨時休業でラーメンにありつけなかった。その日はやむなく周辺の人気店へなびいたものだった。

2年前の石神本で知ってずっと気になっていただけに、やはりそこは食して見たいところ。そんなわけでリベンジとばかりに、またJR稲毛駅から京成バスに乗ってあやめ台団地へやって来た。

よくワンズモールのラーメン劇場へ向かう路線バスと同じだけに勝手知ったるバス系統だ。バスを降りるとその前方のポールが2本立つアーチの先の広場の奥に店舗が見え、営業している姿が確認できて胸を撫で下ろした私だった。

昭和41年このあやめ台団地が出来た頃から営業する蕎麦屋だそうで、その歴史は日本麺類業団体連合会によれば300年を有する現在340軒におよぶ長寿庵グループの一店のこちらだ。

さて店内へ入って行くと日本蕎麦店らしい、やや薄暗い佇まいが落ち着いた空間を造作する店内。まだ正午前もあってか、先客ゼロのフロアー。さりげなく2年前の石神本をバッグから半分だけ出しながら、これを見て来たと告げると大層喜んでくれたお店の方だった。

メニューを手に取ると、ラーメン類は中華物と言う見出しの後に続いていた。タンメンやみそラーメンもあってそちらにも引かれたが、結局悩んだ末にチュシューメンをお願いした。程なく到着。

それではと行かせて貰えば、鶏と醤油が際立つどこか懐かしさが先に立つ味わいがたまらないもの。中太の麺は自家製だそうで、強いコシは多少世間話しに花が咲いても全くふやける素振りを見せないほどだったがこれが実に良い風合いだった。

チャーシューもまた自家製だそうで、やや塩気が立っていたがその風情はやはりかなり良いものと言えた。小松菜のような青菜が入ってそれがまた良い感じとなっていた。

元禄15年京橋周辺に三河屋惣七が創業させた長寿庵がそのルーツであるらしい。そこは大火などにより営業の地が変わって行き、明治時代には現在の銀座7丁目である竹川町に移転しているようだ。

そんな竹川町長寿庵は昭和20年の大空襲により、銀座が焼け野原となって多くの建物と共に消失してしまった。再開が望まれただろうが、以降今日に至るまで出店することは無かったらしい。

しかし6代目の店主が度量の大きい方だったらしく、従業員の多くに暖簾分けを許していた時代があり、それが今日の長寿庵グループが生まれたきっかけになったと言う。

明治時代そうした中に浅草橋場町に開店した栗田作次郎氏と、麻布四之橋に開店した村奈嘉与吉氏がおられて、多くの孫分け店が生まれて行ったよう。

現在長寿庵は関東各地を中心に点在しているが、その団結を守るため長寿会なるのれん会を結成しているらしい。そもそもその内部は4つの流れから派生されており、長寿会の中もその流れを組んでその会派によって成り立っているらしい。

栗田作次郎氏直系の采女(うねめ)会、そこから枝分かれした十日会と実成会、そして村奈嘉与吉氏の四之橋会がそれだ。なお十日会は店舗数が多いため、更に2つの会派に分かれていると言う。

あやめ台店の店主の修業先は店頭にも冠されて表記しているように柳ばし長寿庵だそうで、会派はそんな4会派の中の実成会と教えて頂いた。明治42年に栗田作次郎氏の店から独立した、東日本橋の両国橋の袂で開業した両国長寿庵店主がその会長だそう。

店主が奥さんとご結婚された時にはその会長が仲人を引き受けて下さったそうだが、店名の通り長寿を全うして残念ながら昨年暮れに他界してしまったそう。なお代継ぎして3代目が頑張っているらしい。

時に石神本で一緒に紹介されていた、池尻大橋長寿庵もまた同じ修業先で同じ会派らしい。気がつけば完食。いや、かなりとんでもなく実にとても良かった。

(左フォト) チャシューメン/お品書き/店頭外観 (2012.05.11)


 柳ばし支店 長寿庵 (ちょうじゅあん) あやめ台店

 住所:千葉県千葉市稲毛区あやめ台1-14-106  TEL043-252-5111

 定休日:木曜日  営業時間:10:30〜19:00

 アクセス:JR総武線稲毛駅東口下車。駅前ロータリーより京成バス・あやめ台団地経由草野車庫
       行きに乗車して、あやめ台団地停留所で降車。アーチの奥へ進んで行った右手にあり。



  2012.05.11 JR総武線稲毛駅東口から京成バスで行くのが便利。   2012.05.11 あやめ台団地停留所を降りたらこのアーチの先にあり。